こんにちは、アフロモシアです。
毎日暑いですね。
私はもうこの暑さに飽きました。
早く秋になってほしいです。
さて、少し前に博物館と美術館の展示を観に名古屋に行ってきました。
まずひとつ目は、名古屋市科学館で開催されている「毒」展です。
なんかこういう怪しげなものってそそられるのですよね。
会場の科学館は名古屋の街中にある白川公園内にあります。
ビルと樹木が混在しております。
建物もインパクトあります。
マニアック過ぎてお客さん少ないと思っていたら、夏休みの子供さんとか学生さんで結構混雑していました。
毒と言っても本当に様々で、植物や動物などが身を守るためのものや、捕食のためのもの、鉱物や人が作り出した人体や環境に毒になるものなどなど…
意外と身近に毒は存在し、毒にも薬にもなり得て、使い方次第というところもあります。
あまり毒に特化して考えたことがなかったので、興味深い展示でした。
次は愛知県美術館で開催中の「アブソリュート・チェアーズ」です。
こちらは街中のビルの10階にある都会的な美術館です。
流石にこちらはマニアック過ぎて、お客さんは少なかったのでゆっくり鑑賞できました。
椅子の機能は座るだけでなく権威の象徴や、身体に寄り添うことで安楽や拘束のための道具となることもあり、また複数が集まることでコミュニケーションの場を生み出すこともあります。
アーティストたちは椅子と結びつく多様なイメージをとらえ、作品を通じて社会の中の不和や矛盾、個人的な記憶や他者との関係性を浮かび上がらせてきました。
この展示はそのような作品から社会や人間の有り様を考察するというものです。
気になったものを何点かピックアップします。
名和晃平さんの作品で「PixCell-Tarott Reading」です。
机の上には作家自身の運命を占ったカードがあるのですが、無数の球体ではっきりと読み取ることはできず、占い師が座るはずの椅子も座ることができません。
読み取れそうで読み取れない、できそうでできない…情報や物で溢れている現代だけど、ヒト1人がわかっていることやできることはそう変わっていないのかもと思いました。
こちらは宮永愛子さんの「waiting for awakening -chair」です。
中の白い椅子はナフタリンでできていて、周りの樹脂に空いた穴のシールを剥がすとナフタリンの気化が始まります。
原型となった椅子が歩んだ時間、作家が制作にかけた時間、そして眠りについた白い椅子の時間、異なる時間の流れが重ねられ静かに佇んでいます。
ナフタリンの気化が始まると椅子は消え去ってしまい、樹脂に跡が残るだけになります。
時間とはなんと儚いモノなのだろうと改めて思いました。
ミシェル・ドゥ・ブロワン「樹状細胞」
こちらの作品は、会議椅子が球体状に組み立てられ、複雑な象徴性を構築しています。球体の形態は、非階層的で平等主義的なユートピアの条件を満たすものでありながら、外側に向けて脚が蹴り出されており、自身を守るような姿を象っています。
理想的な共同体を生み出すと同時に、他者を拒み誰一人座ることを許さないそれらの行きつく先は、はたしてユートピアと言えるのか…
これを作るの結構大変そうだし、難しそうだなぁとかまず考えてしまいました。
影も綺麗だなぁとか呑気に眺めていました。
ユートピアって一体何なのでしょうね。
みんなずーっと求めてきているのに実現しないのは、やっぱり拒んでいる面があるのかな?
ヒトって矛盾した生き物ですね。
所々に「副産物店」の座ってもいい椅子が展示されています。
副産物店はアーティストのアトリエから出る廃材を収集し、プロダクトやアート作品に昇華するグループです。
使われなくなったモノで椅子っぽい物になっていて、なんかこれ笑えると思って気に入ってしまいました。
多分業務用掃除機に木が詰められていて、一応座れそうです。
取っ手も背もたれっぽい⁉︎
名古屋はいつ行っても活気があって、暑さも相まって熱気ムンムンでした。
いい感じの喫茶店でアイスコーヒー飲みたかったけど、時間がなくて飲めなかったのが残念です。
次回は8/22(木)更新予定です。
お楽しみに!